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2009年08月24日 ツイッターの要領で思いついた言葉を意識的にノートに記したら
カオスだった。
自分がまわりを見たときの暗黒面の感想から始まり、
最終的に近所の大型家電屋さんでの家電ショーを絶賛して終っていた。
家電やのイベントショーにびっくりだよ。
おこちゃま集めて「萌え歌」か「みんなの歌」交えてカメラの宣伝って意味分からんかったが、思わず凝視してしまった。
運営側の人間の顔を!!
(おこちゃまは、それに興味ないのがよくわかる。なぜなら、そこに座っているが見ていない。)
運営の人間は、私のように笑いをこらえている人はおらず、けっこう真面目な顔をしていた。
(あたり前か。リハーサルやって何度も見慣れてるはずだから。そうだよな。)
とどこの目線から見てるのかわからん理由で自分の心をおちつけようとしたが、笑いが治まらなかった。
子供向けにやっていただくレンジャーショーとかクイズとか○○のおねーさんとか
正直むず痒くて昔から見られない子供だったけれど、今になって妙なことに目覚めたのかもしれない。
「絶賛したい。」だなんて・・・はぁ、よくわからん。
ちなみに、なぜむず痒くなる子供だったのかを考えてみた。
1.
保育園児でありながら、水泳の着替えにスッポンポンはないだろう。と感じる子供。
奇声あげて飛び跳ねてりゃいい時分に無性に羞恥心の強い子供だった。
(もしかしたら自分両性具有かなんかでちょっと変わった人間?と思っていたからかもしれない。)
2.
感情移入先を「架空のキャラクター」ではなく現実にいる人間ととらえ、
全部『自分』のことに置換えて考えていたのだろう。
3.
なので、羞恥心が強いので自分が恥ずかしい(歌のおねーさんとかショーの司会が子供向けの挨拶をした時から。)と思う行為や言葉を発した時点で擬似体験し「ぎゃぁぁぁぁ」とむず痒くなる。
人の気持ちを人の気持ちで体験するのではなく、人の気持ちを自分の気持ちで体感する。
ちなみに、人前に立つ=あがる。ようなあがり症なのかと思ったが、
地味な分野で壇上に立つのが好きな子だったので単純に羞恥心が強かったのだろう。
ちなみに、今はどれだけ大衆に向かって叫ぼうが、「誰も聞いてねぇよ!」と心に言い聞かせるだけで大丈夫。
だが、人は聞いていないようで聞こえているものだ。効果があることはなんとなくわかっている。
あとは連想思索。
4.
自分と他人の区別をつけるように考えよう!と思い至るがそれがとても難しい。
5.
敵とみなした人間への対処がとても気が楽なことに気ずく。だって何やってもいいんだもん。
6.
敵は、大きくなってから倫理の授業を学んだら何となくわかった。敵じゃなかった。
今となっては、くっだらないことを本気で捉えていた自分が懐かしい。
だが、今でもくっだらないことを本気で捉える性分が抜けきっていないのでどうかと思う。
自分の感覚を中心に他人のものごとを擬似体験する癖も残っている。
性根が暗いので暗黒面が多く出がちだが人には、
その中でも一番明るい答えを返せるようになったからいいのかもしれないが、
暗黒面もおもしろいっちゃ、おもしろい・・・・・う〜ん。
少し前のブログを読み返した。
あぁ〜そうか〜今年は+αにコーヒー豆あげたんだったなぁ〜。すっかり忘れていた。
忘れて、家族ふたりに観賞用のちっこい木をあげた。
バナナとキジムナーという言葉にふたりを連想してしまったので思わず。
現在は玄関にかざってあるが、ほんとに喜んでくれたかは謎だ。
だが、展示会見に行った帰りに買ってきてフイはあげたので反応は楽しかった。
(何しにいったの!?重いのに!?という目をしていた。自分でも何がしたいのかよくわからん。ただ、そのときは面白い!と思ってしまたんだろう。弟がキジムナーを知っていた。最初は人体の絵本にしようと思っていた。以前、なんか自分もよくしらん筋肉について質問されたので「え?医者になりたいの?」と勘違いしていた。一番手堅く喜ぶゲームは絶対買ったらん。私がクリアしてないゲームをやってもらうんだ。)









